村の渡しの船頭さんは(その2終わり)時代はずいぶん変わり、会社勤めの定年も五十五歳から六十歳になり、しかも定年延長とか、再雇用と言う名目で七十歳まで勤める人も少なくはない時代になってしまいました。六十歳と言ったら、まだまだ現役バリバリの年齢で、それをお爺さん呼ばわりされたら、機嫌が悪くなるのは必定です。私が当時の国鉄に職を求めたのは昭和四十一年でした。当時の国鉄の定年は五十五歳。五十歳を越えると、周りからは「じさ」なんて正面切って言われていました。事実、その年齢になるとなんだか、大人と言うよりも年寄と言う言葉が似合うような容姿になっていたように記憶している。今や「六十、七十鼻たれ小僧」なんて言葉もあるほどで、平均寿命が飛躍的に伸び始め、行年八十歳と聞くと「まだ、そんなに歳でもないのにもったいないのう」なん...連載290「村の渡しの船頭さんは」(その2終わり)
気がつけば、もう5月。爽やかな快晴の皐月の空が広がっています。何かとバタバタと日が経ち撮ってはみたものの出せずにいた4月の風景。季節の移ろいは早いものこの一年で一番爽やかな今を精いっぱい感じとろう…PostedbyI.TachiatMay1,2023置き忘れてきた四月の風景
時々「津南ポーク」が食べたくなり訪問する。依然経営していた、津南町役場近くの直売店は閉鎖されたので、直接加工所へと向かいます。勘違いされている部分も大きいと思う。「津南ポーク」と「妻有ポーク」があるから。でも、懇意にしている「津南ポーク」は個人で後者は養豚業者の集合体で全く違います。一昨年お亡くなりになられた、前社長はスベルべと同年だった。でも、生産方法は引き継がれ、味に変わりはない。飲食業かと思うほど大量に仕入れ。出かける前に色々な部位、色々なカットを検討してファックスで送信済み。大きな発泡スチロールの箱が三個。万一を考え保冷材なども事前に準備済みです。これほど大量な仕入れは、娘たちも含めて三家族分だからです。あ、依頼されてもう一家族分もあるから合計四家族分でした。皆が喜ぶ顔が見たい。(続く)津南ポークを訪れる
村の渡しの船頭さんは(その1)「村の渡しの船頭さんは今年六十のお爺さん」この童謡は皆さんがきっと一度は耳にしたことがあるでしょう。いえ、子供のころに歌ったという人も少なくはないと思います。1941年に作られた童謡ですから、和号で言えば昭和15年という事になります。太平洋戦争が戦局の悪化で泥沼にはまるような状況になっていった時代に、よくぞこんな牧歌的な童謡が生まれたものだと思う。と、時代の話にしたいわけではない。最近になっても、つい鼻歌気味に口ずさむのだが、歌詞を口にしていて、ふと迷う言葉が歌詞にある。「今年六十のお爺さん」え、六十でなくて、七十だったかな。なんて冗談でもなく迷ってしまう。歌詞を調べてみると、原詩は間違いではなく、七十歳ではなくて六十歳のお爺さんなのでした。今は六十歳でお爺さんなどと呼ばれた...連載290「村の渡しの船頭さんは」(その1)
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