長く感じた冬もようやく去り、三寒四温も二寒五温くらいに思えるようになった。川の土手にでも座ってお昼のパンを食べるか、と妻に水を向けるとすぐに賛成だった。病院からの帰り道、昼食を作るのも面倒くさくパンで済まそうとスーパーのベーカリーで買ったものだった。陽光はすでに優しく菜の花は揺れそのまま草の上に伸びて昼寝でもしたくなりそうだった。 川面のさざ波は下流から上流へ流れていた。満潮と知った。ポチャンと音がして水面に波が丸く立った。反対側の川岸に釣り人が居たのだ。彼は竿を再び振って椅子に座り直していた。長期戦と決めたようだ。 この川のもう少し上流の宅地に昔訪れたことがあると思い出した。あの時は喪服を着…
先日家で食べたメキシコ料理もどき。トルティーアもチップスも市販品があるから、あとは具を作ればそれらしくなる。チキンやアボガドなどの具が残っているうちは何度も作ったが、最後にシーズニングスパイスも底を尽きた。トルティーアは10枚入りだったがもう妻と自分だけではそんなに枚数も一度には食べない。残った数枚がやや干からびかけていたので、ちょっとしたホットスナックとしてみた。 何の事もない、トルティーアをわずかにオリーブオイルを落としただけのフライパンに載せて加熱し、そこにチーズを落とし蜂蜜を垂らしす。ゴルゴンゾーラチーズと蜂蜜のピッツアはよく目にするメニューだが、それをトルティーアでやっただけだ。 チ…
更新お知らせ頁開設について過去記事について内容を更新したものをお知らせする頁を作りました。リピーターの読者もある程度いらっしゃいます。「その記事は以前に読んだけど、何か内容を追加したのならまた読んでみようか」という方にも便利だと思います。単
綱島という名のその街に始めて行った時自分はまだ小学生になっていなかった。昭和40年代の始め、社宅住まいだった我が家。父親は家を建てようと色々な場所に土地を探していたようだった。横浜市港北区にある東横線の綱島駅は高架駅だった。その下の埃っぽい道を家族でバスに揺られた記憶が薄っすらとある。電車が頭の上を走るという光景は初めてだった。 結局そこは下見だけで、父親の買った土地は違う街だった。渋滞をなしにしても横浜駅からバスで30分以上掛かる。最寄りに横浜駅まで走る相鉄線の西谷という駅があったが、そこまでもバスでは10分か。なんとも不便な場所だった。いっとき開発も進んだが、不便すぎたのか今その街を車で走…
「地域生活(街) 中部ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)