瀧廉太郎を知る人は少なくなりました
今朝の信州は気温が17度曇り空でお天道様はまだお休み中です。予報では梅雨の晴れ間の予報です。今朝のラジオで今日は何の日の中で、瀧廉太郎の忌日との事です。瀧廉太郎(1879-1903)23歳10カ月の生涯は、1879年明治12年8月24日、父瀧吉弘と母正子の長男として東京市芝区南佐久間町2丁目18番地町(現東京都港区西新橋2-6)で生まれた。瀧家は江戸時代、日出藩(ひじはん)の家老職をつとめた上級武士の家柄であった。父は大蔵省の官僚となったが、内務省に転じて大久保利通や伊藤博文らのもとで内務官僚として勤めた。瀧家は父母の他に祖母ミチ、2人の姉の利恵(長女)と順(次女)、従兄の大吉に瀧廉太郎(長男)の7人であった。1882年、父吉弘が地方官、つまり神奈川少書記官となったため、一家は横浜の官舎に入る。後に富山県...瀧廉太郎を知る人は少なくなりました