「木賀の山踏」(竹節庵千尋)往路の「大磯の『さいこく』」:梅沢の鮟鱇再考を兼ねて

「木賀の山踏」(竹節庵千尋)往路の「大磯の『さいこく』」:梅沢の鮟鱇再考を兼ねて

前回「木賀の山踏」(竹節庵千尋 天保6年・1836年、以下「山踏」)の往路の「四ッ谷の数珠」などの記述に幾つか疑問点があることを記しました。今回はその続きの記述を検討しますが、それに当たって以前の記事で取り上げた梅沢の鮟鱇をはじめとする一帯の漁業の実情を併せて見直します。「山踏」の記述は「四谷・小幡(小和田)」についての記述に引き続いて、馬入の渡しを渡ってからの記述に移ります。馬入川舟にて渡り、平塚の...